仏舎利が奉納されている法門寺
法門寺には、17世紀初頭に造られた、高さ45mの真身宝塔(写真上)がありますが、1981年の豪雨の際に倒壊し、瓦礫の下からでてきたものに「あら、びっくり!」。秘密の地宮から釈迦の真骨(仏舎利)が発見されました。
見つかった骨が本当にお釈迦様のものかどうかは疑問の残るところではありますが、信心深い中国の皆様に守られ、金銀財宝に囲まれて大切に祭られていました。

楊貴妃の墓
中国四大美女のひとり、楊貴妃(ようきひ)。本当に美しかったからなのか、悲劇的な結末を送ったからなのか、中国女性に人気があるようです。
もともとこの陵墓はかなりの大きさがあったそうですが、墓の土で顔を洗うと楊貴妃のように美しくなる、という信者(?)が次々に土を持ち帰るため、たまりかねて煉瓦で固めたそうです。
記念館には四大美女の像があり、年代順に並んでいます。

写真左から、西施(せいし)。会稽の恥をすすぐべく越王句践が、宰相范蠡(はんれい)が探してきた絶世の美女、西施を呉王夫差にプレゼント!骨抜きになった呉王夫差は、あっけなく越王句践に討たれてしまいました。
2番目は、王昭君(おうしょうくん)。前漢末、霍去病や衛青を擁する孝武帝ですらなしえなかった匈奴討伐をやってのけた元帝は、降伏してきた呼韓邪単于に「あなたの婿になりたい」と言われて気をよくしました。元帝は快諾したものの、ちょっとけちって、後宮にいるいちばん見てくれの悪い娘を連れてくるように宦官に言い付けました。宦官は後宮の似顔絵リストから、一番見てくれの悪い王昭君を選んだ訳ですが、本人を見てびっくり。王昭君は、絵師に賄賂を送らなかったので、似顔絵リストの顔は○○だったのでした。
3番目は、貂蝉(ちょうせん)。後漢皇帝を牛耳っている董卓と、その養子呂布との仲を悪くさせようと、司徒の王允が美貌の踊り子の貂蝉を使いました。貂蝉は、王允の言い付け通りに董卓、呂布の両方に色目を使って仲違いさせ、董卓は呂布に殺されました。
最後は、楊貴妃。唐第6代皇帝玄宗は、晩年になってから「後宮には、もう朕の理想の女性はいない!」と駄々をこねました。誰か好い娘はおらんのか〜の言葉に、宦官の一人がようやく見つけてきたのがこの楊貴妃でした。本当は玄宗皇帝の息子の女官(というか、側室)だったので、息子の彼女をとっちゃったって訳です。皇帝って、傲慢!ただ、楊貴妃は本当に玄宗皇帝に気に入られていましたが、終生幸せだったかどうか疑問です。安史の乱の際に自殺をさせられたところは、ちょっと気の毒だと思いました。詳しくは陳舜臣の「小説十八史略」を読んでね。